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2006.03.10 Friday
先日書いた記事、PSE 電気用品安全法を考えるに、予想以上のアクセスがあります。3月に入ってからの10日間だけでも、この記事のみで15000HITしています。
色々な方に紹介していただいているようで、簡単に纏めただけの当人としては心苦しいばかりです。
しかし、このような記事でも何かの役に立つならば、とも思っていますので、どんどんリンク貼るなりTB飛ばすなりしてやっていただければ、と思います。
俺の書いた記事なんぞにまで、これほどの反響がある。
裏を返せば、それだけ沢山の人が、この問題について考えてくれているということでしょう。
規制が開始されるまで残り2週間余り。
少しでも多くの人に、この横暴で無茶苦茶な法律の実態を知ってもらえればと思います。
そういえば、昨日の昼頃見ていたTV番組で、この問題を取り扱っていました。
番組の調査によると、元々電気用品安全法は中古品を対象としていなかったようです。
その証拠に、電気用品安全法施行前に配布されたパンフレットには、中古品に関する事柄が一切記載されていなかったとのこと。
しかし、2005年11月、経済産業省は唐突に、大手中古品販売店へ調査協力を要請し、その折に「中古品も含まれる可能性がある」と示唆したそうです。
そして、2006年2月、いきなり経済産業省のHPにて、中古家電製品が規制対象になるという旨を告知。
2006年2月下旬、所轄警察署を通じてこれを各所へ通達。
つまり、経済産業省は、中古家電の在庫を抱える販売店に対し、規制が開始される4月までの僅か2ヶ月足らずの間に在庫を全て売り切れと言っているに等しいわけです。
これがどれほど無茶苦茶なことか、商いをする人ならば、いや常識というものを持っている人であれば、大人のみならず子供でもわかることでしょう。
この番組では、経済産業省の広報へのインタビューも行っていました。
リポーターがこう問います。
「この法律は、現在のリサイクル推進の動きとは矛盾するのでは」
すると、広報はこういう感じで答えました。
「もしPSEマークのない商品がそのまま廃棄、という道を辿るならば、私たちの意にそぐわない状況というほかありません」
意にそぐわないも何も、他ならぬアンタらのせいでこんな状況になってるんだろう。
アンタらの “意” は何なのか、と問いたい。
そして、リポーターは更にこう問います。
「現状の混乱を考え、規制を1年間先送りにする等の対処は考えていますか」
広報、こう答えます。
「考えていません。ありえません」
まさに外道。傲慢。横暴。
もう、本当に開いた口が塞がりません。
法律とは一体誰のためのものなのか。
そんな当然のことを、もう一度考え直す必要があるようです。
更にもう一つ。
PSEマークというのは何処からか支給されるわけではなく、検査を行った当人(許可を受けた製造業者)が勝手に制作して商品に添付すれば構わないそうです。
「検査をしましたよ」と偽り、いくらでもPSEマークを貼ることが可能なわけです。
これがどれほど恐ろしいことか、まだ記憶に新しい耐震偽装事件を思い出せば分かると思います。
もちろん製造業者だけの問題ではありません。
消費者の中にも、PSEマークを勝手に制作して貼る人が出てくる可能性が非常に高いです。
そうなれば、PSEマークは商品の安全性を保証するどころか、逆にその安全性を失墜させるだけのものとなってしまうかもしれません。
素人が見てもこれほど穴だらけの法律が動き出せば、今以上の混乱が起きるのは間違いないでしょう。
政府の人間には、本気でもう少し頭を使っていただきたいと思います。
【当blog内の電気用品安全法関連記事】
PSE 電気用品安全法を考える
経産省、PSE周知不徹底認める
思考 :: comments (2) :: trackbacks (0)
2006.02.21 Tuesday
世界的に 「MOTTAINAI」 という言葉と意識が広がる現在。その 「MOTTAINAI」 が生まれた日本に、こんな法律があっていいのでしょうか。
古いものはいらない。
古いものには価値がない。
古いものは危ない。
果たしてそうでしょうか。
昔の電化製品の方が、今販売されている電化製品よりもずっと長く使えるという事実。
政府は、これをどう考えているのでしょうか。
俺は電気用品安全法に反対します。
【電気用品安全法概要】
電源を使用する電気製品に対して安全基準を新たにつくり、
それに適合したものに「PSEマーク」をつけて販売するという法律。
「PSEマーク」製品、つまり電気用品安全法に適合していない電気製品は法律で製造・販売・輸入が禁止され、これに違反すると法人の場合、最大1億円の罰金が科せられる。
電気用品安全法は2001年4月より施行され、すでに適用されている。
電気用品の種類により、施行より5/7/10年の猶予期間があり、
2006年の4月1日より、まず第1段階目の規制が開始される予定。
【つまりどういうこと?】
PSEマークの無い電化製品の販売、陳列が一切できなくなる。
(新品、新古品、中古品、ジャンク品全て)
ビンテージ系のAV機器、ゲーム機など、一部のマニアにとっては非常に重要で価値の高いものが市場に流通しにくくなる恐れがある。
PSEマークの無いものを販売する場合、製造事業者として届出を行い、部品交換、加工、絶縁耐力と通電検査の後、PSEマークを貼ってようやく販売可能となる。
つまり、規制後にPSEマークの無いものを販売する場合は、販売者が全てのリスクを背負うことになる。
それができない場合は個人売買、譲渡、廃棄という方向になる。
【問題点】
2001年4月より施行され、電機業界向けにセミナー等を開いていた(らしい)が、消費者には殆ど説明がなされていなかった。
「官報等に掲載した」とのことだが、一般人のうちどれだけの人が官報を読んでいるか不明。
なお、リサイクルショップ等の中古販売業務店舗で中古品の売買ができなくなるというのは、ここ数ヶ月で急に決まったことらしく、十分な説明もなし。
PSEマークの無い電化製品の処分は消費者負担。
つまり、中古販売業務を行う店は、まず存続の危機に直面することになる。
製造事業者届出のできない店舗は、PSEマークの無い商品を廃棄・譲渡するしかなくなる。
しかし、在庫を全て廃棄するとなれば、処理費用が莫大なものになる。
必然として、全国的に不法投棄が増える可能性高し。
また、電気用品安全法においては、ビンテージ機器等のことは全く考えられていない。
既に無くなってしまった会社の製品や部品調達が困難となって販売中止になった製品、輸入販売製品等の非常に貴重で代替品の無いものまでが規制対象になっている。
モノを大切に使う人や、ビンテージ・アンティークを好むユーザーには大きな打撃になる。
【どうすればいい?】
知らない人の比率の方が高いであろう電気用品安全法を、可能な限り多くの人に知ってもらい、何が問題で、どのような影響があるのかを理解してもらうこと。
【関連リンク】
電気用品安全法(PSE)に対する署名(坂本龍一氏らが代表)
電気用品安全法に反対します
電気用品安全法@2chまとめ
【電凸先】
経済産業省 商務情報政策局 消費経済部 製品安全課
(問い合わせ時間は、9:30〜16:30(除く12:15〜13:15)です。)
100-8901 東京都千代田区霞が関1−3−1
電話03−3501−4707(直通)
ちなみに、PSEマークがあるから絶対安全というわけではなく、逆にPSEマークが無いから危ないというわけでもない。
既にPSEマーク付き製品から火を噴くという事故が起きている。
……笑えねぇ(´Д`;)
この電気用品安全法ですが、どういう人(または業界)にメリットがあるのかを考えてみましょうか。
まず、当然ながら新品を売る小売店とメーカーですね。
中古品は正直、目の上のたんこぶでしょう。
あとは、検査機関などを天下り先にしたい方々でしょうかね(笑)
では、逆にデメリットは何でしょうか。
挙げるとキリがないですが、リサイクル家電業界は間違いなく衰退します。
何故かというと、2001年以前の中古家電、ビンテージ機器などが販売できないわけですから、それ以後に出た比較的新しいものだけを売る羽目になるからです。
となれば、一部の消費者にとって中古を買う意味が大幅に薄れてしまいます。
個人的に “比較的新しい中古品” というのは最も半端なものだと思います。
そういう中古品は、そこまで安い価格がつけられているわけでもなく、当然ビンテージとかアンティークとかいうだけの価値があるものでもないわけです。
しかも、内部構造が複雑で壊れやすく、いざ壊れたら修理に結構な額が必要になったりします。
古いものは非常にシンプルにできており、なかなか壊れません。
壊れたとしても簡単な修理で直ることもあります。
どうしても直らない場合は天寿を全うした、と思えばいいでしょう。
以上から、“比較的新しい中古品” を買うためにそこそこのお金を出すくらいなら、上乗せして新商品を買った方がマシなのでは、と思います。
“安全法” などという名前こそついてはいますが、少し上に書いたようにPSEマークがついていれば安全と絶対的に保証されるわけではなく、安全基準そのものも、そこまで大差があるとは思えません。
何より、「PSEマークがついていれば安全」ということは、「PSEマークのない時代のものは安全ではない」と言っているのと同義ではないですか。
安全ではないものを平気な顔して売ってたんですか? と逆に問いたくなります。
結局、一般消費者やリサイクル業者のことを微塵も考えず、“雲の上の人” の視点で勝手に決めてしまった、そんな法律だと断言せざるをえません。
「自分はビンテージ機器に興味ないから関係ない」
「自分は中古品なんぞ買わなくても、新しいものがいくらでも買える」
「最新機器があれば中古品とかいらないでしょ」
「中古買うのは貧乏人だけm9(^Д^)プギャーッ」
政治家はこんな風に考えてるんでしょうか。
そういえば、CDの輸入版禁止のときも同じような感じを受けました。
偏見かもしれませんが、政治家なんて洋楽を聴かない世代の方が多いでしょう。
「自分には関係ない」という理由で、消費者のことを考えずに悪法を作るのはやめていただきたいものです。
つーか、やめろ。
2006年3月11日更新
以下の記事も参考にしていただければ幸いです。
【当blog内の電気用品安全法関連記事】
PSE 電気用品安全法を考える [2]
経産省、PSE周知不徹底認める
思考 :: comments (6) :: trackbacks (1)
2006.02.10 Friday
考:「いただきます」って言ってますか? 「給食や外食では不要」ラジオで大論争「お金を払っているのだから 『いただきます』 を言う必要はない」
こんな考えを持っている人がいることに衝撃を覚えました。
おいおい、そういう問題じゃないだろう、と。
「いただきます」の本来の意味を、人間は見失いつつあるのだなぁ……と少ししょんぼり。
料理を作ってくれる人。
食材の生産者。
恵みを与えてくれる自然。
そして自分の糧となる動植物の命。
それら全てへの感謝の気持ちを籠めて言うのが “いただきます” という言葉のはず。
“手を合わせていただきます” には、仏教的な意味合いもあるでしょう。
しかし、「ウチは信仰していないから手も合わせないし、『いただきます』 も言わない」というのは、ちょっと違うのではないかと考えます。
宗教的概念から生じたものであっても、既に習慣になっていることですから。
勿論、手を合わすことも “いただきます” を言うことも、強制ではありませんし、他人に押し付けるものではないこともわかっていますが。
俺は自宅で飯を食う前に大体「いただきます」を言いますし、外食のときも軽く手を合わせます。
雰囲気的に「空気読め」って感じだったら、最低でも心の中で手を合わせてからいただきます。
というか、それが当たり前のことだと思っていました。
最近は「いただきます」を言う人も減っているんでしょうか。
日本人の美徳の一つだと思うんですけど。
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2006.01.18 Wednesday
「バブル再来?」「景気上昇」
「就職難の時代も終わりか」
最近、こういうのをよく見ます。
俺には正直なところ、対して景気が良くなったわけでもないのに、無理矢理マスコミが煽っているだけのような気がしてなりません。
先日もTVを見ていると、女性がバーゲンにて高いブランド物買い漁ってる映像を流し、「景気も回復してバブル時代のような云々」とか言っていました。
景気が悪い悪いと言ったところで、そこそこ金持ってるならバーゲンでブランド物も買うでしょう。
たとえ金がなくてもブランド狂いの人なら無理にでも買うでしょうし。
景気が上向いているのはあくまで一部に過ぎないというのに、どうしてでも日本国内全体が好景気に流れていると思わせたいようです。
中所得者層以下の生活は全然楽になっていません。
それなのに、どうして「景気回復」を謳いたがるのか。
どうも納得できない今日この頃。
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2005.12.17 Saturday
ホワイトバンドの関係で、話が赤い羽根の方にまで飛んでしまった(笑)とりあえず、ここで俺の考え方を纏めておこうと思います。
まず、募金について。
例えばコンビニやスーパーのレジの前。
緑化推進や災害援助の募金箱が置いてあるはずです。
そういうのを見て、「募金をしよう」と考える人、何人いるでしょうか。
俺は時々、その募金箱にお金を入れます。
そのお金が本当に緑化推進や災害援助に使われているのか。
それは知る由がありません。
では何故入れるのかというと、単に邪魔な小銭が手元にあったから(70%)
そして、丁度そこに募金箱があったから(20%)
俺にとって邪魔な小銭が何処かで何かの足しになるなら(10%)
それだけです。
10%の偽善ですな(笑)
次に街頭での募金活動について。
これはもう、気が向くか向かないか、財布に小銭があるかどうか、です。
あとは活動内容にもよるかな。
まぁ、基本的に俺は街頭募金活動に肯定的です。
イカリング記事のコメントで怪しまれている赤い羽根募金ですが、これに関しても俺個人としては現状肯定的な姿勢です。
何故か。
1、とりあえず用途が(それなりに)詳しく書かれている。
2、少なくとも助けられている人がいる。
この二点です。
ホワイトバンドのように実質誰も助かっていないのならば別ですが、実際に恩恵を受けている人がいるのですから、それを無視して批判するのはナンセンスでしょう。
重要なのは募金する側の心情やら何やらではなく、それが誰かの助けになるかどうかです。
「少しでも誰かの助けになりますように」と10円を募金する人より、「重くて邪魔だから500円入れてやるZE! HAHAHA!」という人の方が、“助けてもらう側” にとってありがたいはずです。
ホワイトバンド活動を見てもわかりますが、高邁な精神で貧しい国の人々の腹は膨れません。
必要なのは衣食住の助けとなるもの。
つまりお金です。
何故募金活動をするのか……って、そりゃお金が必要だからに決まってます。
最後にボランティアの話。
俺は昔、あしながPウォークというあしなが育英会主催のボランティア活動に参加していました。
参加者が10kmを歩くことで企業が世界の遺児のためにお金を出すとか、そんな内容だったかと。
小学生の頃のことですから、もちろん詳しいことまでは知りませんでした。
単に友達と一緒に歩くのが楽しかった。
その副産物として誰かが助かるなら、と。
楽しくなければ参加していなかったでしょう(笑)
いわゆる無償の愛的なボランティア精神とは全く違います。
最近ではボランティア活動をすることで学校の内申が上がるとか、受験のとき有利とか言われており、それを非難する人間も結構いるようです。
しかし、先程も言った通り、助かる人間がいるのであれば動機なんて関係ないのです。
どんどん内申に響くようにすればよいでしょう。
どんどん受験で有利にすればよいでしょう。
ついでに、就職にまで関わるようにすれば皆必死でボランティアやるでしょうね。
いやはや。
今の時代、本当のボランティアなんて、ほとんど無いのではないでしょうか。
ボランティア=無償の愛というイメージ自体、俺には間違いのような気がしてなりません。
結論としては、アレです。
お前ら皆勝手にしろ! 俺も勝手にする!
何せ人間は自由ですから(笑)
あぁ、あともう一言。
しない善より、する偽善!
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2005.12.04 Sunday
先日デジカメを買ってから、カメラの写真と猫の写真、あといくつか風景を撮りました。便利です、本当に。
フィルムが必要ないということは、フィルム代も現像するお金もプリントするお金もいらないということですし、当然ながら現像やプリントを待つ時間も必要なく、尚且つ現像したフィルムや写真のように嵩張らないので簡単に整理できます。
なるほど、フィルムを使用する、いわゆる銀塩カメラが廃れていく理由がわかります。
「写真が上手くなりたい」
上手くなるために必要なのは、持って生まれたセンスと、あとは何枚撮ったか、です。
天性の素質を持っている人なら、現代の高機能カメラの使い方さえわかれば、それが昨日今日カメラを持った人であってもベテランを打ち負かす可能性があります。
素質を持たないなら、ひたすら枚数を撮って目を養い、自分の距離を掴むしかありません。
上手くなりたいならデジカメを持て、という人の意見はわかります。
俺は256MBのXDピクチャーカードを購入しましたが、この小さな一枚のカードに560枚も入ります。
24枚撮りフィルムに換算すれば、約23本分です。
一本現像すると600円ほどかかります。
同時プリントすれば1200円です。
1200×23=27600
256MBのXDピクチャーカードを4枚買ってお釣りがきます。
256MBが4枚あれば2240枚撮影可能なわけで、それをフィルムに換算するt(以下略)
いかにデジカメが優れているかを書いているようですが、そうではありません。
俺は、趣味にはお金をかけるものだと思っています。
ですから、フィルム代を惜しいと思ったことはありません。
「あー、お金がかかるなぁ」とは思えど、それを勿体無いと思ったことはないです。
趣味は生きていく上で、取り立てて必要なものではありません。
ただ生きていく上では不要なもの、つまり無駄です。
無駄に対して “つぎ込んだお金の額” が趣味の価値に比例する、と言ったのは森博嗣だったでしょうか。
無駄のない人生なんて、多分つまらないでしょう。
無駄のない写真撮影だって、なんだかつまらない。
味気ないのです。
失敗してもすぐに消去できますし、撮影枚数に余裕があるので、一枚一枚を大切に撮るという気合や緊張感が無くなります。
下手な鉄砲数撃ちゃ当たるというわけで、誰が撮ってもそれなりのものが撮れます。
フィルムを現像に出してあがってくるまでの、あの何とも言えない感覚もありません。
現像済みのフィルムをニヤニヤしつつ眺めて、フィルムホルダーに入れる作業もなければ、プリントを一枚一枚丁寧にアルバムに入れることもありません。
本当に無駄がなさすぎるんです。
合理的すぎて息が詰まります。
趣味なのに余裕が無い。
そんなのは、やはり違う気がします。
俺にとって、デジカメは記録する道具です。
しかし、銀塩カメラは、それ以上だと思っています。
デジカメで撮った写真を、更にフォトショなどで加工、修正したものが巷で持て囃され、コンテストなどでも入賞をさらっています。
その人たちを否定するつもりも馬鹿にするつもりも全くありませんし、それはそれで一つの楽しみ方であり、個人の趣味であり、表現法であるとは思います。
でも、写真ってそういうものだったかな……と、ふと考えてしまった今日この頃。
一度、デジカメとフレクサレットで、同じ景色を撮り比べてみようかな。
思考 :: comments (2) :: trackbacks (0)
2005.11.21 Monday
“Simple” を日本語訳すると、“簡単” とか “単純” となります。意味としては正しいのかもしれません。
しかし、そのように訳すより、個人的には “効率的” と訳したいところ。
自分の趣味の中でしか語れないのですが、例を挙げましょう。
車には、エンジンの動力を効率よく使うためにトランスミッションがあります。
一般的に、ミッションとかトラミとか呼ばれるもののことです
ギア切り替え式(段切り替え式)の自転車に乗ったことがある人は、とてもわかりやすいでしょう。
あそこまで単純ではないですが、まぁ似たようなものです。
マニュアル・トランスミッション(以下MT)は、人間がエンジンの回転数を読み取り(または感じ取り)、ギアを切り替えることで、効率よく動力を使うことができます。
オートマチック・トランスミッション(以下AT)は、基本的に機械が自動でギアを切り替えてくれます。
MT乗りの人間がATを運転すると、「え、こんなところで切り替わるの?」と思うことが多々あります。
ATは機械任せでエンジンパワーを効率よく使えていないわけですから、普段効率よく操作している人間が乗ると違和感を感じるんですね。
それを補うテクニックもあるといえばありますが……。
また、最近のATはかなり改善されたとはいえ、やはり同じ車ならMTの方が燃費は上です。
装置自体の複雑さもさることながら、ATはミッションそのものが重いからです。
たかだか30kg前後の差ですが、車にしてみればかなりの負担です。
寿命もMTの方が長く、いざというときオーバーホールもやりやすいです。
最近、ブレーキとアクセルを踏み間違えるという事故が多発しています。
これはATでなければ起こらない事故で、MTの場合は間違えるとエンストします。
結局、人間が操作する方が安全なのです。
運転の楽さや快適さを求めたところで、危険では何ら意味がありません。
次はカメラの例。
今から80年前のカメラがあるとします。
これは現代でも使えます。
もし壊れていたとしても、修理することが可能です。
しかし、ほんの20年前の電子プログラム系カメラは直りません。
電子部品が壊れたら交換するしか修理する術がないのですが、20年も前の交換部品はメーカー側が保管していない場合がほとんどだからです。
現代のカメラも、部品の在庫が無くなってしまえば終わりです。
また、50年以上も前のカメラは電池など必要ありません。
ところが、電子制御のカメラは電池が無くなればただの箱です。
俺の部屋にも、電池がなく使えないカメラが一台あります。
自動でピントを合わせてくれる。
自動で露出を合わせてくれる。
そんな “自動” を優先した結果、壊れたら捨てるしかないカメラができました。
現代の使い捨て文化を象徴しているようです。
最近、一部の人は何故古いものに惹かれるのか、ということを考えます。
味があるとか、単に懐古趣味とか、そういう理由もあるでしょう。
しかし、そんな中に俺と同じ考え方の人もたくさんいるはず。
“昔のものの方が効率良くできていた”
洗濯機や冷蔵庫もそうです。
時計のような精密機械は尚更。
スローライフや昭和文化が持て囃される今、楽より効率を選択できる人が多くなってくれれば、もっと住みやすい世界になるのではないか。
俺はそう思います。
楽と効率を履き違えてる人もいますけどね('A`)
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2005.11.14 Monday
普段、こういうニュースを採り上げようとは考えないんですが、今回は少し思うことがあったので。知らない人はいないと思いますが、東京都町田市の高校一年生の少女が、同級生の少年に自宅で惨殺されるという痛ましい事件が起こりました。
少年が少女を殺害するという行為に至った経緯や心理等は、追々明らかにされていくでしょう。
明らかというか、一方的な理由付けといった方が正しいかもしれませんけど。
まぁ、俺はその辺について記事を書きたいわけではありませんので省略します。
新聞やニュースで流れる被害者の実名と顔写真。
実名も顔も報道されない加害者の少年。
前から疑問に思っていたのはこれです。
なぜ、被害者である少女が晒し者にされるのか。
なぜ、加害者が守られるのか。
どう考えても、これは逆であるべきだと思うんです、俺は。
被害者のプライバシーは、遺された家族のためにも守るべきです。
「では、加害者のプライバシーは守るべきではないのか」
と聞く人がいるかもしれませんが、その通り。
守る必要などありません。
プライバシーを侵害されるのが嫌ならば、犯罪を犯さなければいい。
ただそれだけのことです。
「少年だから」
「未来があるから」
「更正の余地があるから」
偽善的な言葉で殺人犯を守るくらいなら、亡くなった人の尊厳を守るべきではないでしょうか。
凶悪少年犯罪が増加の一途を辿る昨今。
俺は少年法に反対します。
そういえば、何故か少年でもないのに名前を報道されない事件の加害者もいますよね。
あの辺は一体どうなってるんでしょうか。
最近、マスコミが嫌いです('A`)
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