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2005.07.02 Saturday
すっかり間が空いてしまいましたが、今昔妖怪図鑑 河童の第三弾です。前回は、体験談や祖父の話から河童の存在(?)に迫ってみました。
今回は予告どおり、河童の系統の話をします。
早速 “河童” を独断と偏見で、水神、式神、動物、人間、その他で分けました。
水神に関しては前回を参照していただくとして、式神からいきましょう。
式神とは、簡単に言えば人間(主に陰陽師など)の操る鬼です。
大きな意味では、モノに魂を憑依させたものや、動物を使い魔のように操ったものも式神です。
式神は職神とも書き、工人として使役される場合もありました。
古い説話に、工人として使役した藁人形(式神)を、工事が終わったあと川に放つ、というものがあります。
放たれた藁人形(式神)は使役していた人間に対し、「これから自分はどうやって生きていけばいいか」と問い、人間は「尻子玉でも食って生きればよかろう」と返します。
それからというもの、藁人形(式神)は河童になり、人の尻子玉を抜くようになったとか。
さて、ここで順番が前後しますが、“動物” を飛ばして “人間” へ。
上の式神の話を読んで、疑問に思った方もいるでしょう。
「そもそも工人として働く式神なんていたのか?」と。
もちろん、そういう式神はいたのでしょう。
しかし、それは神でも鬼でもなく、大陸から渡ってきた人や、身分の低いとされた人々だったのだと思います。
所謂、人柱の話でもよくあることですが、犠牲になった人は神へと昇華されます。
何故か。
それは人が祟りを恐れるからです。
では、河童の工人の場合はどうだったのでしょう。
当時の治水工事には、多大な時間と労働力が必要でした。
危険と隣り合わせであったでしょうし、当然やりたがる人はいなかったでしょう。
そこで駆り出されたのが、大陸人や身分の低いとされた人々でした。
工事の際に多くの人が亡くなったはずですし、恐ろしい話ではありますが、工事が終わると同時に用済みとなり、殺された人もいたかもしれません。
それを、『川に放つ』と表現したとしたら?
全て辻褄が合いますね。
人は祟りや怨念を恐れます。
治水工事で亡くなった人の怨念や祟りを畏怖した結果、それが河童となった可能性は大きいでしょう。
妖怪は畏怖(If)より生まれるものです(笑)
また、平家の落ち武者の怨念が河童となった、という話も一部地域限定で伝わっているようです。
次は動物です。
前回に俺が見たスッポンや、祖父の話に出てきた鯉のような大魚、他には川獺(カワウソ)、猿など、河童と重ねられる生き物は多いです。
以下のようなケースもあります。
釣りキチ三平という漫画(知ってますか?)に、河童の正体が巨大な鯉だった、という話がありました。
釣りをしている最中、何らかの要因で巨大な魚に引きずり込まれるようなことがあったとしたら、それは魚ではなく妖怪として認知されるでしょう。
そういった動物が神聖化され、神と同列に扱われることもあります。
水棲生物に関しては、これで説明がつきます。
では、どうして猿が出てくるのか。
実は河童の親戚に山童(やまわらわ)という妖怪がいます。
親戚というか、場合によっては同一とされるものです。
時期によって山と川を行き来し、山にいるときは山童、川にいるときは河童と呼ばれます。
同じ猿系にヒョウスベがいます。
時期によって山と川を行き来するというのは、猿の行動パターンと似ています(水に潜るわけではないにせよ)し、猿型の河童の目撃例というか、記録もかなり残っています。
『山童は人間の山仕事を手伝う』、『河童は田植えや草取りを手伝う』という話もあるので、人間であったと考えるのが自然ではありますが……。
最後にその他です。
「その他って何?」と言われても困ります。
本当はもっともっと細分化できるんですが、時間の制約があるので仕方なくその他で纏められたわけです(笑)
沖縄のキジムナー(Ω ←こんなの)と河童は同じものといわれていますが、ガジュマルの木の精霊ともいわれているので、あれも神の零落したものかもしれません。
河童の話はこんなところで終わります。
いつまで経っても次に進めない、というのも困るので(笑)
また機会があれば、掘り下げて話をしたいと思います。
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2005.04.17 Sunday
15日に「また明日」と言いながら、しっかり日が開いてしまいました。1日が24時間なのは俺のせいじゃないので、俺に文句言うのはやめましょう。
嘘です、ごめんなさい。
それはともかくとして、よく考えたら妖怪の絵があるわけでもないのに、今昔妖怪図鑑というタイトルはおかしい気がしてきました。
今昔妖怪事典の方がいいかな、とも思ったんですが、面倒なのでこのままいくことにします。
さて、前回は “河童とは水神である” というところまで書きました。
今回、まずは俺の体験談から書いていこうと思います。
俺が中学生の頃まで住んでいたところは、山と川に囲まれた自然の豊かな場所でした。
娯楽の少ない場所でもあったので、俺は必然的に山を探検したり、川で魚を捕ったりして遊んでいました。
ある日、いつも魚を捕っている場所からずっと下流の方まで、魚を捕りに行ったことがありました。
そこには深緑の淵が広がっており、到底網で魚が捕れる場所ではありません。
どうしたものかと淵を覗き込みつつ付近を右往左往していた俺に、農家のお婆さんが声をかけてきました。
「あんた、気いつけんと落ち込むでよ」
川遊びをしている俺としては、この手の言葉は慣れています。
「いけるいける。ちゃんと気いつけとるけん」
などと軽く流して、そそくさとお婆さんから離れようとしたとき、後ろから追い討ちが。
「ここの淵には河童がおるけんな。引きずり込まれんようにしなよ」
まだ中学生で純粋だった俺のこと、さすがに怖くなり、その場を去ろうとしたときです。
視界の端にあった大きな岩の上から、何か大きな緑色のものが淵に向かって飛び込むのが見えました。
今思えば、岩の上で昼寝をしていたスッポンが俺の足音に驚いて逃げたのでしょうが、当時の俺はもう顔面蒼白で逃げ帰りました。
母親に「河童がいた!」と訴えたのを今でも覚えています(笑)
ちなみに、何故スッポンだと思ったのか。
実はそれから数年後、近辺を偶然自転車で通りかかったときのこと。
懐かしく思って川面を覗き込むと、例の岩の上に大きなスッポンが3匹ほど、重なり合うようにして甲羅干しをしていたのを見たからです。
あのとき見たのはスッポンだったんだなー、と納得した次第。
妖怪やUMAの多くは、こうした見間違いによって生まれるのかもしれません。
俺の体験談はこれくらいにして、次は祖父の昔話です。
祖父の語り口を真似て、そのまま書いてみます。
読みづらいでしょうが(笑)
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爺ちゃんがこまい(小さい)頃はなぁ、川もほら綺麗で、もっと深ぁてな。
底の方まで透き通っとって、魚が泳んぎょるんなんぼでも見えよった。
今は下(下流)に堰や作ってしもたけんあかんわ。
ほこの川の鉄橋の下や、ほら深かった。
あっこはおきょい(大きい)鯉がようけこと(たくさん)おってな。
一回、松茂(地名)の漁師が鯉を捕りに潜ったんじゃわ。
ほんで、今潜ったとおもたら、すぐに血相変えて飛び出してきよるけん、どしたんかいなと聞いてみたら、「三間(約5.4m)もある鯉がおって、こっちを睨んみょった」と言うて、ガタガタ震えよんじゃ。
ほの漁師、怖ぁて二度と潜らんようになったわ。
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上に書いた話は、俺が小学生の頃から何度となく祖父が聞かせてくれたものです。
この話を読み、「5.4mもある鯉なんかいるわけない」と思った人。
確かに、普通に考えて5.4mもある鯉なんかいるとは思えません。
しかしです。
祖父が子供だった頃と今とは全然違います。
何が違うかと言いますと、“神や妖怪が生活の中に生きていた時代” と “神や妖怪が表向き死んでしまった時代” という違いですね。
現代の人が5.4mの鯉と聞けば、「嘘だ」と即座に決め付けるでしょう。
けれど、当時の人は嘘だと決め付けることもなく、祖父もその漁師の話を「そういうこともあるだろう」と感じ、嘘だと思ったことはなかったそうです。
河童の話とは多少ずれますが、その巨鯉も水神様だったのかもしれません。
えーと、今回で河童は終わりにする予定だったんですが、やたら長くなってしまったのであと一回だけ続きます。
次回は河童の系統についてです。
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2005.04.15 Friday
最近、民俗学関連の記事が少ないので、俺が片手間に調べている妖怪に関することを、これまた片手間に書いていこう、という趣旨の元、これを今昔妖怪図鑑と銘打って記事にしていこうと思います。第一回は河童です。
説明するまでもないくらい、妖怪の中でもメジャーで人気のあるヤツです。
メジャーなだけに全国各地、至る所に伝承が残っており、その眷属の数たるや、星の数ほどではないか、とさえ言われている……かどうかは知りませんが、そんな風に思っても不思議ではないほど、各地に広く分布しています。
当然、呼び名だけでもゴマンとありまして、川太郎、ガタロウ、川原坊主、ホンコウ、水虎、メドチ、ドチガメ、ケンムン等々、まさに枚挙に暇がない、といった感じです。
「所変われば品変わる」といいますように、呼び名だけではなく、その見た目も地方によって全く違ったりします。
河童のイメージといえば、黄桜のCMで見たことがある方もいらっしゃるでしょうが、頭に皿、背中には亀のような甲羅、というものが一般的ですね。
しかし、どうみても猿にしか見えないものもあれば、四速歩行の獣的なもの、更には怪獣そのものといったような出で立ちのものまであり、なかなかレパートリーの多い(?)ヤツらなのです。
さて、今回は最もオーソドックスな、頭に皿、背中に甲羅の河童の話をしましょう。
特徴は先に挙げた二つに加え、以下のようなものもあります。
・手には水かき
・キュウリが好物
・怪力の持ち主であり、相撲が好き
・牛や馬を池や川に引きずり込む
・人間の尻子玉を抜き取る
・左右の腕が体内で繋がっており、右の腕を伸ばすと左の腕が引っ込む
これだけ特徴の多い妖怪というのは、なかなか他に見当たりません。
では、どうして河童はここまで事細かに、特徴やイメージが作られたのでしょうか。
当時の人々にとって川や池というのは、生活の場であると同時に境界であり、神の在る場所でした。
そして、日本書紀に見られる “ミヅチ” が、地方によっては河童の呼び名として使われていることからもわかるように、河童は水神としての役割を与えられた妖怪です。
生活に密着した神霊であるからこそ、人々は河童に色々な特徴を付与し、信仰と畏れの対象としたのではないでしょうか。
現代のように水道を捻れば水が出る、といった生活をしていては、河童の出る幕などなかったでしょうね。
とりあえず今日はこれくらいにして、続きはまた明日。
次回は俺の体験談や、祖父のしてくれた昔話、そして河童の系統について書きます。
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2005.01.18 Tuesday
徳島の古い方言では、小さな狸をマメダというそうです。おそらく豆狸の意なのでしょう。
先日の『阿波の狸の話 [1]』のコメント欄にて、狸祭りのテーマ曲を紹介しましたが、その二番目にはマメダの名が出ています。
興味のある方は ここ で聴いてみてください。
普通の狸はホンタ(本狸の意?)と呼ばれ、人間を化かしたり騙したりする例が多いのですが、このマメダというのは案外可愛いもののようです。
憎らしい狸でも子供は可愛い、という理屈なんでしょうか(笑)
自宅から車で20分ほどのところに、赤殿中というマメダを祀った祠があります。
(殿中とは “ちゃんちゃんこ” のような服のこと)
昔、この辺りでは夜になると、赤い殿中を纏った子供に化けたマメダが現れ、道行く人に「おんぶして」とせがんだそうです。
これを邪険にせず、「よしよし」と背負ってやると、赤殿中は足をばたつかせて大喜びするとか。
こんな話を聞くと、是非会ってみたくなりますね。
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2005.01.13 Thursday
民俗学系blogとしてカテゴリ分けされた手前、もう少し民俗学の記事を多くしなければ格好がつきません、はい。そんなわけで、folklore強化月間です。
さて、皆様ご存知かと思われますが、徳島は狸で有名です。
街を歩けば、道端、路地裏、其処彼処に狸を祀った祠がありまして、11月初旬にはそれらの祠をめぐるオリエンテーリング “ほこらめぐり” が行われます。
この “ほこらめぐり” は、1978年以来毎年徳島市内にて開催される“阿波の狸まつり” のイベントの一環として行われるわけですが、毎年かなりの人が参加しているようで、“阿波踊り” の次に集客率の高いイベントとなっています。
個人的には、あまり狸を祀った祠の存在を気にしたことはありません。
祠があるのは当たり前なので、「今更」という感じで普段は気に留めないわけです。
おかげで祠の場所もほとんど覚えていないのですが、以前徳島市内を歩いた折、一つの祠が目に付きました。
場所は徳島駅西の大きな踏切(通称お花畑踏み切り)をもう少し西へ歩いた辺りで、沿線の南側です。
その祠は “お初大明神” と呼ばれているのですが、大明神という大層な名前のわりに、小ぢんまりとした少々貧相(失礼)な祠です。
そんな小さな祠の横に立てられた看板に、なかなか面白い話が書いてありました。
━━━━━━━━━━━━
昔、ある若者が此処を通りがかった折、美女が入浴しているのを見て浴室へ入り、その背中を流して、さも得意げであった。
夜回りの親爺に「今頃何をしているのか」と声をかけられて正気に返ると、美女だと思っていたのは路端の石で、これを一生懸命こすっていたという。
━━━━━━━━━━━━
助平な男の性を戒めるような話ですが(笑)、面白いのは話の中に祀られている “お初” の名が出てこないところです。
一体 “お初” の名が何処からきたのかについては、いくつかの可能性がありますね。
1.話には書かれていないが、その浴室の美女が “お初” と名乗った、という可能性。
2.話を聞いた人が後付した可能性。
3.この近辺に現れて常習的に人を化かしていた狸の名が “お初” だった、という可能性。
徳島の狸には大抵名前がついているので、やっぱり3番目でしょうか。
というか、この話ツッこみどころ満載ですよね。
浴室に美人がいたからって、ほいほい中に入って背中は流すし、何故か得意げだし。
なかなかのツワモノですよ、この若者…(笑)
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2005.01.06 Thursday
民俗学とは直接的に関係ないのですが、分類するのならココかな、と。先日、祖母&母と共に、四国八十八ヶ所の第六番札所である安楽寺さんへお邪魔する機会がありました。
祖父の生前からのご縁であり、葬式、法事にいたるまでお世話になったご住職は博識な上、とても気さくな方で、堂内を自ら案内してくださいました。
真鍋俊照先生の書かれた曼陀羅や仏画、松本明慶師の彫った仏像など色々と目を惹くものばかりで、なんとも豊かな心持にさせていただきました。
特に、対になった金剛界・胎蔵界両曼茶羅には本当に感動しました。
正直、美的感覚も信心の欠片も持ち合わせてはいない俺ですが、その曼陀羅を見ていると何だか心体ともに温かくなる感じがするんですよ。
不思議な体験でした。
ご住職、こんなところを見ていらっしゃることはないと思いますが、再度お礼申し上げます。
ありがとうございました。
そういえば、この安楽寺さんには “逆さ松” という松がありまして、この名の由来がまた面白いんです。
昔、弘法大師がこの地を訪れた折、松林に薬師如来が姿を現し、弘法大師が「全ての人間が幸福に暮らせるように」と礼拝を捧げていたときのこと。
唐突に大師目掛けて飛んできた矢を、近くの松の枝が身代わりとなって受け、大師を守りました。
身代わりとなって折れた枝を拾った大師は、それを逆さまに植え、「もし松が根付いて大きくなれば、この地も栄えるであろう」と言ったといわれています。
そして現在、逆さまに植えられた松は根付き、札所安楽寺も建ち、この地は遍路道として栄えています。
うーん、面白い…。
八十八ヶ所にはこういう話がたくさん残っているので、いつかきっちりと調べてみたいものです。
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2004.10.29 Friday
我が県には “オッパショ石” という、一部には有名な石がありまして…。というか、この時点でもう何県かバレるわけですが(笑)
えー、はい、徳島県であります。
二軒屋駅目の前、勢見山の麓あたりには、かなり古い無縁墓地があります。
周辺は古い街並が残っている場所で、通称“涙町” と呼ばれている界隈です。
成程、無縁墓地と涙か、などと納得するのはともかくとしまして、この墓地の中にポツンと石碑が立っております。
名のある力士の墓として立てられたと言われる、所謂供養塔のようなもので、表面には南無妙法蓮華経と書かれ、寛文三年という年号も確認できます。
石碑の中ほどに真横に亀裂が走っていて、折れたものを無理やりセメントでくっつけているものであることがわかります。
この、パッと見るだに何の変哲もない石碑が “オッパショ石” と呼ばれ、その筋では有名な “石の怪” なのです。
「オッパショ」とは、徳島県の古い方言で、子供が親に負んぶをせがむときなどに使う言葉です。
つまり、“オッパショ石” とは、“負んぶ石” というわけですね。
その名の通り、夜な夜な「おっぱしょ、おっぱしょ」と泣くと言われています。
さて、石が「負ぶってくれ」と泣くわけですから、これは大層気味が悪い。
大抵の人は逃げ出してしまうんですが、あるとき通りがかったは力自慢の相撲取り。
「そんなに泣くなら俺様が負ぶってやろう」とばかり、“オッパショ石” を「エイヤッ」と引っ担いだわけですが、この石碑は結構大きい(高さ1.5mほど)だけに重さもかなりのもので、さすがの相撲取りもすぐにドスンッ、と落としてしまいました。
落とされた拍子に “オッパショ石” は真ん中からポキッと折れてしまい、その後は泣かなくなったということです。
セメントで補修されたのは最近になってからのようですが、現在でも「オッパショ石が泣くのを聞いた」という人が時々いるようです。
この “オッパショ石” ですが、分類的には大阪の “負われ坂の怪” などと同じで “おんぶお化け” の類とされています。
“おんぶお化け” とは、夜歩いているといきなり背中に何かが負ぶさってくる、という有名なアレですね。
「負ぶってくれ」と泣くあたり、“産女” や “子泣き爺” (注1)との関連もありそうです。
徳島の怪異だけに狸の悪戯であるという説も多いのですが、はたして…。
ちなみに、この涙町。
城南町二丁目と西二軒屋町二丁目の、ちょうど “境” である界隈を指す、というのも何かありそうで興味深い部分です。
(注1)
“子泣き爺” が徳島県出身だということは意外と知られていません(笑)
“子泣き爺” 自体は水木しげる先生の創作妖怪であり、徳島県の大歩危峡あたりに伝わる「赤ん坊のように泣き、通行人を騙しては抱き上げた人間を圧死させる」という妖怪の伝承が元になっていると言われています。
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2004.10.06 Wednesday
先日書いた “うぶめ” の話の中で、“うぶめ” は境界に出現する、ということを書きました。橋、辻、川を例として挙げましたが、境界はもっと身近にもあります。
家の中を見渡してみてください。
最もわかりやすいのが玄関です。
玄関はウチとソトとの境です。
開けた社会と閉じた社会の境界線であり、屋内にもかかわらず履物を履く特別な場所です。
また、敷居や風呂、トイレもそうです。
よく “敷居をまたぐ” とか “敷居を踏んではいけない” といいますね。
これは敷居が境界だからであり、特異な場所だからです。
風呂は、普段着ている服などを脱ぎ、無防備になってから入る場所です。
これも生活の中の特異点というわけで、境界に含まれます。
「普段から全裸で過ごしてる」という人がいるかもしれませんが、そんな人のことは知ったこっちゃありません、はい。
トイレは御不浄などとも呼ばれ、狭いスペースにて無防備な姿で用を足す、という部分が特異点ですね。
昔は汲み取り式が多かったので、今以上に生活の中での境界性は高かったでしょう。
真っ暗な空間が尻の下にある、と考えるだけで怖いもんです。
何かと何かの丁度真ん中の曖昧な部分、または特異点が境界です。
“曖昧” というのがキーワードですね。
さて、妖怪とは概念の存在ですが、これがまた非常に曖昧模糊としています。
暗い夜道を歩いていて、誰かに袖を掴まれたような気がして振り向くと誰もいない。
所謂 “袖引き小僧” ですが、これは “得体の知れないものに袖を引かれた” という概念です。
実際に袖を引っ張る小僧の妖怪がいるわけではありません。
突風に巻かれて、気がつけば身体に切り傷ができていた、という現象を “鎌鼬” といいますが、鎌を持った鼬がウロウロしてるわけでもありません。
あくまで概念であり、実体は無い。
それなのにイメージはある、という曖昧さ。
“うぶめ” はお産で亡くなった女性の妄執、という概念がイメージとして妖怪になったものです。
実際に存在するわけではありませんし、人間の魂でもないのであの世へ行くわけでもありません(俺があの世の存在を信じるかどうかは、また別の話ですよ。念のため)
つまり、現界(この世)と幽界(あの世)のどちらにも属さない、あるいは属すことのできない存在は、境界という第三の狭間の世界に集まり彷徨っているわけです。
曖昧な存在は曖昧な世界に。
なんだか背筋がゾッとしませんか(笑)
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