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2004.10.29 Friday
我が県には “オッパショ石” という、一部には有名な石がありまして…。というか、この時点でもう何県かバレるわけですが(笑)
えー、はい、徳島県であります。
二軒屋駅目の前、勢見山の麓あたりには、かなり古い無縁墓地があります。
周辺は古い街並が残っている場所で、通称“涙町” と呼ばれている界隈です。
成程、無縁墓地と涙か、などと納得するのはともかくとしまして、この墓地の中にポツンと石碑が立っております。
名のある力士の墓として立てられたと言われる、所謂供養塔のようなもので、表面には南無妙法蓮華経と書かれ、寛文三年という年号も確認できます。
石碑の中ほどに真横に亀裂が走っていて、折れたものを無理やりセメントでくっつけているものであることがわかります。
この、パッと見るだに何の変哲もない石碑が “オッパショ石” と呼ばれ、その筋では有名な “石の怪” なのです。
「オッパショ」とは、徳島県の古い方言で、子供が親に負んぶをせがむときなどに使う言葉です。
つまり、“オッパショ石” とは、“負んぶ石” というわけですね。
その名の通り、夜な夜な「おっぱしょ、おっぱしょ」と泣くと言われています。
さて、石が「負ぶってくれ」と泣くわけですから、これは大層気味が悪い。
大抵の人は逃げ出してしまうんですが、あるとき通りがかったは力自慢の相撲取り。
「そんなに泣くなら俺様が負ぶってやろう」とばかり、“オッパショ石” を「エイヤッ」と引っ担いだわけですが、この石碑は結構大きい(高さ1.5mほど)だけに重さもかなりのもので、さすがの相撲取りもすぐにドスンッ、と落としてしまいました。
落とされた拍子に “オッパショ石” は真ん中からポキッと折れてしまい、その後は泣かなくなったということです。
セメントで補修されたのは最近になってからのようですが、現在でも「オッパショ石が泣くのを聞いた」という人が時々いるようです。
この “オッパショ石” ですが、分類的には大阪の “負われ坂の怪” などと同じで “おんぶお化け” の類とされています。
“おんぶお化け” とは、夜歩いているといきなり背中に何かが負ぶさってくる、という有名なアレですね。
「負ぶってくれ」と泣くあたり、“産女” や “子泣き爺” (注1)との関連もありそうです。
徳島の怪異だけに狸の悪戯であるという説も多いのですが、はたして…。
ちなみに、この涙町。
城南町二丁目と西二軒屋町二丁目の、ちょうど “境” である界隈を指す、というのも何かありそうで興味深い部分です。
(注1)
“子泣き爺” が徳島県出身だということは意外と知られていません(笑)
“子泣き爺” 自体は水木しげる先生の創作妖怪であり、徳島県の大歩危峡あたりに伝わる「赤ん坊のように泣き、通行人を騙しては抱き上げた人間を圧死させる」という妖怪の伝承が元になっていると言われています。
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