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2006.05.03 Wednesday
最近のニュースにて。----------------------------------------ココカラ----------------------------------------
京都府宮津市が全戸配布する広報誌などで、
「葬式での清め塩は故人の尊厳を冒涜 (ぼうとく)することにならないでしょうか」
などと廃止を呼びかけたところ、市民から、
「行政が口出しすべきことなのか」
と苦情が出ている。
「清め塩をすることは死者をけがれた存在とみなしている」
というのが市側の言い分だが、宗教とかかわる葬式への“介入”に
「政教分離に触れるのでは」
と指摘する専門家も。
塩論争はさらに波紋を呼びそうだ。
(産経関西の記事より一部抜粋)
----------------------------------------ココマデ----------------------------------------
……とまぁ、このようなものを見かけました。
一言で切り捨てるならば「馬鹿馬鹿しい」ですが、せっかくの機会なので少し考えてみましょう。
“塩を撒く” のは神道の風習(慣習?)であり、浄土真宗等ではこれを迷信とし、行っていません。
仏教に迷信と言われちゃ神道も形無しです。
どっちも似たり寄ったりだと思うのですが(笑)
さて問題は、何故葬式後に清め塩を撒くのか、という部分です。
死者を不浄、穢れと見做し、それを清めるために塩を撒くのか。
それとも、折口論でいう自身の「穢れ=気枯れ」の状態を元に戻すため、塩を撒くのか。
お通夜や葬式というのは日常からかけ離れたものであり、現界から一歩あちらの世界へ踏み込んだ非日常的な儀式だと言えます。
また、死者と時間を共にするということ。
それ自体が境界的な意味合いを持っていると考えられます。
生前親しかった死者は、送る者たちにとって不浄でも穢れでもないかもしれません。
しかし、“死者の世界” は不浄です(古事記における黄泉比良坂の話を思い出してください)
死者の世界に近づいた自分を清めるために塩を撒くのは、イザナギが黄泉の国より戻りし折、竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原にて禊ぎをしたのと同じようなものなのではないでしょうか。
肩に塩をかける=禊ぎと考えれば辻褄は合うと思います。
まぁ、現実的な話をするのであれば、死体というものは死んだ瞬間からどんどん腐敗していくものでして、実際のところ、あまり近くにいるのは体によろしいものではないようです。
俺も祖父が亡くなった折、祖母に「アンタはあまり爺ちゃんに近づくな」とか言われました。
身体が弱い俺のことを案じてだとは思いますが、正直凹んだのを覚えています。
ですから、死者を塩で清める風習があったところで、何の不思議もありません。
それを死者への冒涜とか人権侵害とか言う方が馬鹿です。
随分昔に、宗教におけるバックボーンの部分が好きなのと、信心とは別問題だ、というような記事を書きました。
今回も同じで、清め塩はあくまで風習でしかなく、死者を冒涜することではありません。
全くの別問題です。
無理矢理繋げて考えるからおかしくなるんですよね。
それと、死者には尊厳も人権もありません。
あるとすれば、それは遺族にであって、既に死者本人のものではないのです。
葬式も仏壇もお墓も遺族のためのもの。
死んでしまえば、人はそれまでです。
勿論、実際はそう簡単に割り切れないし、割り切れないからこその仏事なわけですが。
民俗学 :: comments (2) :: trackbacks (0)
Comments
::
2006/05/05 01:50 AM
冒涜とかは、別問題として
塩まきは、もともと仏教の考えではなく、
指摘の通り、神道のものですね〜
最近は会葬御礼にもその旨に触れて
お清めの塩、入れてないのも多いですにゃ
私は仏教じゃないんですが、先日お葬式(仏式)に参列したときのしおりに以下のように記されてました。ちょうど引き出しの中に記念でとっておいたので、参考に〜(以下全文)
「清め塩」について
「清め塩」は殆んどの葬儀で会葬礼状に挿入され、なかば習慣化されてきましたが、仏教の教えに照らし、これを廃止することに致しました。仏教では、生と死は一つであると教えています。また、葬儀は、愛するものとも、必ず別れなければならないという事実(愛別離苦)を真正面から受け止め、わが身を見つめ直す厳粛な儀式です。仏教では決して「死」を「穢れ」とすることはありません。従って、死を「穢れたもの」として「お清め」する「清め塩」を廃止することにした次第でございます。合掌
冒涜とかは、別問題として
塩まきは、もともと仏教の考えではなく、
指摘の通り、神道のものですね〜
最近は会葬御礼にもその旨に触れて
お清めの塩、入れてないのも多いですにゃ
私は仏教じゃないんですが、先日お葬式(仏式)に参列したときのしおりに以下のように記されてました。ちょうど引き出しの中に記念でとっておいたので、参考に〜(以下全文)
「清め塩」について
「清め塩」は殆んどの葬儀で会葬礼状に挿入され、なかば習慣化されてきましたが、仏教の教えに照らし、これを廃止することに致しました。仏教では、生と死は一つであると教えています。また、葬儀は、愛するものとも、必ず別れなければならないという事実(愛別離苦)を真正面から受け止め、わが身を見つめ直す厳粛な儀式です。仏教では決して「死」を「穢れ」とすることはありません。従って、死を「穢れたもの」として「お清め」する「清め塩」を廃止することにした次第でございます。合掌
とーま
::
2006/05/05 07:24 AM
■まなちゅん
仏教全般が清め塩に批判的なわけではなく、浄土真宗系だけらしい。
まぁ、仏教と神道は古来より衝突しあってきたものだから、神仏習合とはいっても矢張り相容れない部分があるんだろうなぁ。
仏教じゃ死を穢れとはしておらず、むしろ逆の考え方をしているわけだからな。
でも、ぶっちゃけ宗教なんて、そういう細かいことに拘るもんじゃないと思う。
無駄に拘れば争いが起きるから。
特に仏教は懐が広い宗教なんだから、古来よりの風習を、わざわざ仏教の教えに照らし合わせて廃止、なんて真似をする必要ないんじゃないかな、と。
ちなみに、ウチの爺さんの葬式のときは、ちゃんと清め塩が出たな。
■まなちゅん
仏教全般が清め塩に批判的なわけではなく、浄土真宗系だけらしい。
まぁ、仏教と神道は古来より衝突しあってきたものだから、神仏習合とはいっても矢張り相容れない部分があるんだろうなぁ。
仏教じゃ死を穢れとはしておらず、むしろ逆の考え方をしているわけだからな。
でも、ぶっちゃけ宗教なんて、そういう細かいことに拘るもんじゃないと思う。
無駄に拘れば争いが起きるから。
特に仏教は懐が広い宗教なんだから、古来よりの風習を、わざわざ仏教の教えに照らし合わせて廃止、なんて真似をする必要ないんじゃないかな、と。
ちなみに、ウチの爺さんの葬式のときは、ちゃんと清め塩が出たな。
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