I solation Room
SEARCH THIS SITE
 
space
arrow RECENT ENTRY
  • 4年目 (11/15)
  • 命の教育 (11/14)
  • チャンスdeピンチ (11/12)
arrow CATEGORY
arrow RECENT COMMENTS
  • 久々に海へ!
  • とーま (02/16)
  • 渚の探偵:助手 (02/15)
  • 寒波
  • とーま (02/11)
  • 森の人 (02/10)
  • 新年早々の厄
  • とーま (01/13)
  • 森の人 (01/12)
  • 空色海岸
  • とーま (01/13)
  • 西表島とモダマ
  • とーま (01/13)
arrow RECENT TRACKBACKS
  • 断食修行
  • ベジライフ酵素液プチ断食口コミ (02/08)
  • ソルトルアー入門
  • 遊びと仕事とアレコレと (11/30)
  • 古烏神社
  • ケノーベル エージェント (01/23)
  • 立岩神社
  • ケノーベル エージェント (10/29)
  • 金山神社
  • ケノーベル エージェント (10/24)
arrow ARCHIVES
arrow Links
arrow Profile
arrow OTHERS
RSS1.0 * ATOM0.3
Powered by SereneBach 2.09R
space
<< チャンスdeピンチ | main | 4年目 >>
space
命の教育
2008.11.14 Friday
「最後の鳴き声、かわいそうだった…」 子供たち、飼育したブタとの涙の別れで「命と食の大切さ」学ぶ…新潟

俺は、この記事を見て、「それはないだろ……」と思いました。
子供たちは豚に名前をつけ、一緒に遊び、「大切な仲間」と語っています。
それを殺してしまうのは、飼っているペットを殺してしまうのと同じことです。
畜産農家が家畜を飼育しているのとはワケが違います。
この学校の教師は何を考えているのでしょうか。

以前にも何度か書きましたが、動物が好きだから肉を食わないのか、と聞かれれば、それとこれとは別問題であり、家畜は家畜、ペットはペットなわけです。
肉牛を卸している畜産農家に知り合いがいます。
俺がまだ小さなころ、「大事に飼ってる牛を殺してしまうのは悲しくないのか」と聞いたところ、「愛情と手間隙をかけて牛を育てるのと、家族としてペットを育てるのはワケが違うのだ」という旨のことを言われました。
当時の俺はこれを聞いて、何ともドライだと感じましたが、今考えれば当然のことです。
俺は釣った魚を殺すこと(持ち帰るために〆ること)には何の迷いもありません。
だからといって飼っている魚を殺すことはできません。
でも、例えば魚を販売する目的で養殖していた場合なら、俺は魚を〆ることができるでしょう。
エゴと言われようが、それは人間として当然の感情のあり方だと思います。

この記事の場合、命の教育と言えば聞こえはいいですが、やっていることが偽善的で半端です。
本気でそういう教育をするというのなら、その豚の最後まで、つまり屠殺場に生徒たちを連れていき、食肉に加工されるまで見せればいいのでは、と思います。
もしくは自分たちで屠殺して食べるとか(そういう小説?があった気がします)
でも、そこまでやると各所より非難轟々なのは間違いありません。
(俺だって、小学生がそういう経験をするのは、正直早いと思いますし)
だから、こんな半端なことをして、「自分たちは子供に命の教育をしている素晴らしい人間なんだ」と悦に入っているのでしょう。
子供たちにしてみれば、大切な仲間と無理矢理別れさせられてしまった。
ただそれだけのことです。
命の大事さより、大人の理不尽さの方が記憶に残るのではないでしょうか。

命について考えたければ、何かしらの動物を家族の一員として迎え、共に育つことです。
殆どの動物は、必ず自分よりも先に死んでしまいます。
家族として育った彼らの死は、決して軽いものではありません。
肉親との死別と同じくらい辛く悲しいものです。
当然、「お別れ会」などやっている精神的余裕などありません。

思考 :: comments (0) :: trackbacks (0)
space
Comments
Trackbacks:
Comment form
Name:

Mail:

Url:

Comment:

space
space Cookie: