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2008.11.14 Friday
「最後の鳴き声、かわいそうだった…」 子供たち、飼育したブタとの涙の別れで「命と食の大切さ」学ぶ…新潟俺は、この記事を見て、「それはないだろ……」と思いました。
子供たちは豚に名前をつけ、一緒に遊び、「大切な仲間」と語っています。
それを殺してしまうのは、飼っているペットを殺してしまうのと同じことです。
畜産農家が家畜を飼育しているのとはワケが違います。
この学校の教師は何を考えているのでしょうか。
以前にも何度か書きましたが、動物が好きだから肉を食わないのか、と聞かれれば、それとこれとは別問題であり、家畜は家畜、ペットはペットなわけです。
肉牛を卸している畜産農家に知り合いがいます。
俺がまだ小さなころ、「大事に飼ってる牛を殺してしまうのは悲しくないのか」と聞いたところ、「愛情と手間隙をかけて牛を育てるのと、家族としてペットを育てるのはワケが違うのだ」という旨のことを言われました。
当時の俺はこれを聞いて、何ともドライだと感じましたが、今考えれば当然のことです。
俺は釣った魚を殺すこと(持ち帰るために〆ること)には何の迷いもありません。
だからといって飼っている魚を殺すことはできません。
でも、例えば魚を販売する目的で養殖していた場合なら、俺は魚を〆ることができるでしょう。
エゴと言われようが、それは人間として当然の感情のあり方だと思います。
この記事の場合、命の教育と言えば聞こえはいいですが、やっていることが偽善的で半端です。
本気でそういう教育をするというのなら、その豚の最後まで、つまり屠殺場に生徒たちを連れていき、食肉に加工されるまで見せればいいのでは、と思います。
もしくは自分たちで屠殺して食べるとか(そういう小説?があった気がします)
でも、そこまでやると各所より非難轟々なのは間違いありません。
(俺だって、小学生がそういう経験をするのは、正直早いと思いますし)
だから、こんな半端なことをして、「自分たちは子供に命の教育をしている素晴らしい人間なんだ」と悦に入っているのでしょう。
子供たちにしてみれば、大切な仲間と無理矢理別れさせられてしまった。
ただそれだけのことです。
命の大事さより、大人の理不尽さの方が記憶に残るのではないでしょうか。
命について考えたければ、何かしらの動物を家族の一員として迎え、共に育つことです。
殆どの動物は、必ず自分よりも先に死んでしまいます。
家族として育った彼らの死は、決して軽いものではありません。
肉親との死別と同じくらい辛く悲しいものです。
当然、「お別れ会」などやっている精神的余裕などありません。
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