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2014.09.09 Tuesday
博物館で森の人様、陶片顧問N氏とお話したことを少し考えていました。昔は砂浜の幅がもっと広く、砂丘が発達していた、というアレです。
そんなわけで、次の図をご覧ください。
小松海岸周辺の衛星写真です。
青い線が現在の松林の場所です。
松林より海側には道路を隔てて立派な堤防が作られており、その更に内側に一応防砂林があるわけですが、この堤防がなかった時代は松林のあたりが砂浜の最奥だった、ということになります。
要するに現在の駐車場あたりは全部砂浜だったということですね。
次に赤い線です。
こちらは松も含めた植物の茂る1mほどの微高地です。
その微高地上に、津島神社と小松岡神社が鎮座しています。
写真から南北に細長く、緑の茂った地形が確認できると思います。
恐らく、遥か昔の砂浜は、この微高地の辺りまで続いていたのではないでしょうか。
実は同じような地形を他にも知っています。
こちらは里浦大手海岸周辺の衛星写真。
浜とほぼ平行に、植物の茂るラインが確認できると思います。
ここも微高地になっており、小松海岸と大体同じような状況です。
この2例の微高地が浜の端、陸側の最奥部であったと仮定し、汀線までかなりの距離があったならば、その間には必ず砂丘が形成されたことでしょう。
鳥取砂丘の例もあるように、砂丘上で古代人が生活していた証拠は多く存在しています。
小松海岸においても、広い砂浜と、その後背地に形成された砂丘上で古代人が生活していた可能性は、大いにあるのではないでしょうか。
広い時代の土器が出土する理由も、これで説明がつきます。
まぁ、実際に遺跡が出ないと証拠にはならないですけどねw
※夜中に眠い頭で書いたので意味不明な部分がいくつか……。朝に少し修正しましたw
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